可愛さ余って憎さ100倍
可愛さって余るのかな?
6月に結婚した同僚。新年の年賀状は旧姓で届いた。早っ!と思いつつ祝儀を少し返して欲しいと思ってしまう。
人間、一番好きだった所が一番嫌いになると言うが・・・
夫婦でも恋人でも別れてしまうと一番近かった人が一番遠い人になってしまう。それは少し悲しい。
まぁ同性でもそうだ。
ビジネスでも期待した分、裏切られると憎さ100倍どころか1000倍は優に超える。
この「期待」と「裏切り」も相手がどう思っていたのかを知る術はないのだが・・・
こちらは期待を込めて可愛がっていても、相手には鬱陶しいと思われていたかもしれない。上司に気に掛けて貰ってもそれを煩わしいと思った事は一度や二度では無いのだ。
そして双方が思い通りに行かないと可愛さから憎さに変わってしまう。あまりにも理不尽だ。
それなら端から可愛がって貰わずに、せめて嫌われ無い程度の人間関係が双方にとって一番メリットなのではないか?
顧客クレームから商品・サービスを見直す手法があるが、本当に商品やサービスを愛してくれていたのか疑問がある。
ストレス発散の為に1時間も2時間も文句を言い続けたり、コールセンターの女性に卑猥な言葉を連呼したり、使い古した商品を送り付け返金を要求したり、商品・サービスへの愛情が微塵も感じられない顧客がいる。
憎さばかりではなく「愛は何処に行った?」と思ってしまう。
もちろん最初に商品を手にとった時には期待と愛情が少しはあったのだろう。しかしここまで嫌われると関係修復は無理である。罵倒した方は忘れるが、罵倒された方は忘れる事は無いのである。
まぁ愛が届かないってのは悲しいもんだ。